久しく、現状の投稿です

今回は、いつもに増して無価値な情報の投稿です。

私は一応、生きています(笑) 某掲示板は、たま~に覗いたときには必ず書き込んでいます。

そして、このブログ用のメールを見ると、2人の方からメールを頂いていたことに、本日気が付きました。
そして、返信をしました。

今は、もう2時半を過ぎたところですが、某掲示板に書き込んでいる方と、お話ししました。
なんだか、荒れているようなので心配です。

ところで、私のロゴストロンLライフは、とても順調です。
ただし、1点気になることは、Mシステムになってから、そのファイルの質が私には合わなく、まだ本年度中は稼働している<旧システム>のファイルを使っています。
今年中で閉鎖されるのですよね・・・・これを保持してほしかったです。
旧システムのほうが良い!と思う理由は、私にとってはファイルの質(言語周波数の質?)が合っていることと、そして、句読点や改行などがきちんと無音の時間としてファイルに反映されることでキッチリとファイルの中の文章のパンテグテン構造が明確に反映されることで効きが良かったということです。
今後のためにも、自分なりに対策を取りました。

ある人からロゴストロンを強くしたマシーンを頂けたのでので、それも使っています。
前回頂いたものは、部品の立て付けが悪く完全に壊れてしまいました。
ロゴストロン100がどうしても欲しく、モニターしたいという希望もありましたが、それも叶わず「こういう願いは無理なのかな」と思っていたのですが、その代替的なものが叶いました。
これはとても良いです(笑) ロゴストロンLは玄関や部屋の入口や何か狭い閉鎖空間に置いておくと良いというので、そういう使い方をしています。そして、上述の手に入れたマシーンを持ち歩いて、現実が動く・人が動いて自分が導かれることを経験しています。これはそこそこ楽しいかもしれないです。

逆作用というのが話題になっていますが、私はそれの存在を「否定」することにしました。
「無いものは無い」と強引に意識に思うことで、無いものになるのではと考えたのです。
でも心の奥底では「やっぱり、あるよね~怖いね~そういうのって。アレももしかしたら逆作用なのでは?」という恐れはぬぐえなかったため、思い切って強いマシーンで「逆作用など無い、私は信じないし知覚もできない」と発信したら、なぜか恐れがなくなりました。恐れがないので「やっぱあるね~怖っ」という感情も消え去りました。不思議です。 やはりロゴストロン自体は、意識進化の道具なのですね。

良い使い方を知りました。ある方から聞いた方法です。
ロゴストロンが2台必要ですが… 1台では「公響詞」「創造意志情報の展開」だけを流し続けます。
もう1台は他のベーシックなりオリジナルなりを流します。これで鎮魂など要らず、効果が出てくるというものです。これで、確かに私は効果を感じました。
私の場合は、ロゴストロンLで「公響詞」「創造意志情報の展開」を、強いほうで他のベーシックファイルとオリジナルファイルをしました。
こういうことがあると、ロゴストロンは「意識進化の道具だけではない」とも感じます。行動を伴った小さな願望の実現の積み重ねを通して「確かに私は上手く行く」というフィードバックが強化されることで意識進化が成されていくということもあるのかもしれませんね。たぶんそれが、ロゴストロンの効用についての数少ない真実の方向性の1つかもしれません。あくまで私だけの真実、相対的な真実です。

Mシステムになり、鎮魂言霊のファイル文章が公開されました。
このファイルは流すだけでは鎮魂になりにくいのかなと誰かが仰っていましたが、このファイルの文章は自修鎮魂の詳しいマニュアルになっているので、これを見ながら実際に鎮魂行をしてみると良いかもしれません。確かにそうすると良いです。
「鎮魂」と「何かを得るための実際の行動」は<車の両輪の関係>と思いました。

でも、できれば鎮魂はしたくないです。意識してじっとしているのが苦手だからです。何かに集中していてじっとするのは全然問題がないのですが。

もうすぐロゴストロンを使って2年になるのですが、振り返ってみると、確かに効果があったのだと驚きました。
私は今まで、自分の喜びのためのことや自分のためのすべての努力や積み重ねが「形になることはなかった」という不思議な現象(事故なり病気なり突然の記憶喪失なり(笑))に見舞われ続けてきましたが、そういうことは激減しました。ささやかな自分のための積み重ねが、少しだけ形を成すようになりました!
これは他の人から見れば、あまりに小さな出来事なのかもしれませんが、これは私にとっては非常に大きなことです。これは実は物凄くうれしいことで、生まれて初めて「達成感」というものを感じました。今まで、そういう現実が繰り返されてきたので、「達成したというのは、他人している妄想」と思い、「人が何かを達成できるということ自体は世の中に無いのでは」と思っていたくらいです。

また、2年前以前までと比べ運は良くなっている気がします。毎年のようにある大きな怪我や突然の失望や経済的・社会的打撃などは全く無いです。

こうした状態が10~20代のときにあれば、どれだけ楽しい人生だったのだろう!とは思いますが、これも与えられた環境と運なんでしょうね。実際、そのときは、自分が「悪い状況だ」と思ったことが1度もなかったのですが、これはある意味幸せなのかもしれません。 今はもっと幸せです(笑)